私立小学校受験のこころがまえ

立50年を越えるような伝統校、名門校でも、今ではすっかり万人に門戸を開き、当然のように学校説明会や授業参観などを行い、ホームページを持ち、「開かれた学校作り」をするようになりました。

 しかし・・・その学校の創立当初は、いったいどんな子ども達がそこで学び、どんな家庭が、その学校に関わっていたのでしょうか? たとえば、創立50周年とすると、昭和30年代初期、創立70周年であれば、昭和10年代初期に創立されたことになります。   まさに、日本の国が戦争の時代に本格的に突入していった頃、平和が戻り、国力がやっと上向きになってきた頃・・・こんなふうに、あらためて計算をしてみると、私立小学校が、本来はどんな学校であったか?ということが、あらためて見えてくるでしょう。 一般の人々が、混乱の中にあった時代に、すでに「こだわりをもった私学教育」に興味を示し、我が子を通わせ、教育を施そうと考えていた家庭・・・すべてにおいて、それだけの「ゆとり」のある家庭こそが、私立校に縁のあった人達だったのだと思います。

もちろん、時代はすっかり変わりました。今では、学校教育の大きなバロメーターは「偏差値」という数値によって表され、同時に進学先や進学率、受験時の倍率、受験者数等・・・教育方針そのものを云々されるよりも前に、やはり数値による「ふるい」がかけられる時代です。これは、日本が「豊かな国」になって以降の考え方であり、今一つ、小学校受験の世界では、オールマイティーとは言えません。 それも、先ほど書いた「創立当初」のことを思えば、当然のことだ、ということもおわかりいただけるでしょう。

 では、私立の新設校の場合はどうか? 多くの新設校は、豊かな時代になったからこそ生まれた「ゆとり」の中で、「教育に何を求めるか?学校として、何を目指すか?」ということをポイントに、開校されたわけです。

 いずれにしても、伝統校、新設校ともに、やはり我が子の教育について真剣に考える生活のゆとりと、教育に対する意識の高さが求められる「特別の世界」であることに違いはありません。

私立小学校受験が、「かなり奇異なもの」としてドラマやニュース等、マスコミに取り上げられるようになってから、すでに10年以上になります。それ以来、「お受験」という造語も誕生しました。しかし、その言葉の中にある特別の響きは、時には批判の対象となり、時には嘲笑されるべき滑稽な世界として描かれます。   きっとそれは、まだまだ幼い我が子に対して、学ぶ意味、学ぶすばらしさを教えないままに、たんに机上の学習を強要したり、猿真似的な学びの姿勢を強いたりする、考えの浅い親の姿が、あまりに軽薄だったからでしょう。   そして何よりも残念なことは、そういう嘲笑される親達が、さきほどから触れているような「私立校が持つ本来の真の姿」については、あまり気づいていない、考えようともしていない、ということなんですね。

しかし、たった一つだけ。そういう方々が無意識のうちに、私立校に敬意をはらっている行為があります。それは、教室通いの服装、「お受験ルック」です。   たまに電車に乗っていると・・・お母様は、紺やグレーの小綺麗なワンピース、地味なタイトスカートにニットのアンサンブル。子どもは、白ポロシャツに紺やグレーの半ズボン、その上に、季節によっては紺のVネックのベストやカーディガン、ハイソックスに革靴、という男の子。女の子ならば、小さな白襟の紺やブルー系のワンピース、時には清楚なブラウスにジャンパースカート、そして2つ折りソックスにぱっちんベルトの革靴。そして、子供達は必ず、清楚なかわいいおけいこバッグを持っています。そのバッグは、決してヒーローもののプリントがあったり、ウインクをするようなキャラクターが描かれたものではありません。   受験のための幼児教室には、「○○の装いでおいでください」というようなお約束はないはずです。しかし、教育通いをするほとんど家庭では、こういう装いが「受験準備の標準服」とお考えになるようです。こういう親子達・・・受験に関係ない人達の目には、かなり奇異に映り、時には好奇心に満ちた視線の対象になります。

和の時代・・・ 家庭では、「普段着とお出かけ着」の区別がもっとあったように思います。今では聞かなくなった「よそいきの服」でも、当時の意識がうかがわれます。今の言葉で言うならば、「お出かけのためだけに着るお洋服」でしょうか。   もちろん、これは大人にも言えることで、昔の人は、都心のデパートに出かけるにも、かなり気遣った正装をしたものでした。少なくとも、近所のコンビニ(もちろん、その時代には、コンビニなどという便利なものさえありませんでしたが)に行くような気楽な服装で、「デパート」に行くことはなかった・・・その時代であれば、今の「お受験ルック」の装いも、今ほど目立たなかったでしょう。   そういう時代のことを考えてみながら、さまざまな「現代」を見回してみると、いかに社会全体が、たくさんの便利さを手に入れたことと引き替えに、「ラフさとルーズさ」に甘んじてしまう、無秩序な意識になっていったか、が見えてくるでしょう。

しかし、そんな時代の変化の中にあっても、昔ながらの私立や国立の小学校、特別のこだわりと思いを持って創立された私立の新設校というものは、やはりそこに確固として存在しています。   教室通いの「お受験ルック」は、このラフな世の中に生きるご家庭の中で、やはり私立校を「特別なもの」として扱う思いがあり、誰でも平等に入学できる公立校と区別して考える意識となり、「普段着(の意識)では相対してはいけない場所」という考え方につながっていったのでしょう。

受験準備の教室では、クレヨンを使ったり、マーカーペンを使ったりしています。巧緻性を高めるカリキュラムでは、ハサミや糊も使いますから、実際には「きれいな装い」はTPOとしては不適切かもしれません。   しかし、十分にそのことを理解した上でも、教育にこだわりをもって私立校に向かう時、「親の意識の正装」という意味において、教室通いにお受験ルックの装いをする、ということは正しいことだと思います。

受験準備の第一歩、それは、本来の私立校が持つ意味、空気を、漠然とでも「感じ、知る」ことです。文字や数値は表わせない、本来の私立校が持っている「重さ」「権威」というものを、あらためて肌で感じ、知ることです。

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